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初夏の台峯歩き・ノイバラ(野生のバラ)の宴 [台峯を歩く]

今日は台峯歩きの日。少し朝は肌寒く、曇りがちですが陽も射してくる、歩くには良い日和でした。
集まった人12人ほどの小数でしたから、ゆっくり観察し、Kさんの薀蓄にも耳を傾けながらのんびりと歩いたので、時間も1時間ほどオーバーしてしまいました。

やはり季節は1週間から10日、遅れ気味。今は春と夏の野草が入れ替わる端境期で、観察はイネ科やスゲ類、またシダなどの地味なものになってしまいます。でもよく見れば、それはそれで面白さがあります。
5月の花には白いものが多く、ハルジオン、卯の花と言われるウツギ、マルバウツギ、箱根ウツギ(これは紅白)など。樹木としてはエゴノキ、その葉っぱには「落とし文」も葉を丸くして下がっていました。紫の諸葛菜や小さい野草ですがコバノタツナミソウ(小葉の立浪草)なども。
そして今日は、オギハラに刈り残しておいたノイバラの群落がちょうど花の盛りで、匂い立っているからそれを見に行きましょうと、それを楽しみにあるきだしました。
駅に降り立つ人は、この時期青臭い匂いが辺りに満ちていることに気づくかもしれませんが、それは椎の大木から放たれる椎の雄花の匂いです。それが昆虫を誘い、受粉をさせるのです。

第一の田圃は、今畔作りの最中でした。畔は毎年古いのを少し壊して、新しく作り直すのだそうです。今ではそれをコンクリートで固めたり、板囲いにしたりしますが、それでは田圃の生態系を保存することにはならないことを、説明を受けて教えられました。これは手間・暇がかかります。今では成算の合わぬ行為です。でもそれによって日本の里山の生態系は保たれてきたのです。そういう一見無駄な行為によって、人間の農業と自然の生物たちとは、共存できたのです。経済的合理化は、そういう農業の敵ですね、とKさん。皆で宝くじでも買って一発当てたらここが買えるのですけどね…と。
その半分だけやっと畔が作り変えられた田んぼの水たまりでは盛んにシュレーゲル・アオガエルが鳴き、まだ卵もオタマジャクシも泳いでいて、その上をここだけに多いシオヤトンボ(シオカラより少し小さく、尾の全体が白い)がすいすい飛んでいます。
この時期、渓流ではカワトンボが見られます。それもオスの羽が透明なのと、オレンジ色なのとがいて、メスはすべて透明。その縄張り争いの様や、そこでメスがやってくるのを忍耐強く待ち続けるオスの様子まで、Kさんにかかると昆虫のドキュメンタリーとなってしまい面白いこと限りありません。そういう事もあって道中は時間がかかってしまったのです。
その他、ヤマサナエというトンボ、また大変貴重で、この谷戸にしか見られないというヒゲナガハナノミという蛍くらいの大きさの昆虫も見ることができました。
昆虫は、生態系を考えるうえで大変重要なのだが、植物より実態がつかめず、またその変化も説明できないことが多いということです。蝶もそろそろ姿を見せています。

さて、鳥ですが、今数が減っているというツバメの姿はこの辺ではまだ見られますが、ホトトギスの声を私はまだ聞いていません。台峯では鳴いているとのことでしたが、今日は耳にできませんでした。
キビタキが鳴いているとのことですが、私はよく聞き取れませんでした。エガラの幼鳥もいたとのこと。中国から渡来したガビチョウも六国見山にもいるようです。ちょっと話が混乱しましたが…。

最後に、出口に近いオギハラの中にあるノイバラの茂みのことを述べて終わりにします。
園芸種のバラよりも強い匂いで小さな白い花が乱れ咲いていて、皆で取り囲んで声をあげました。
小さな昆虫たちがいろいろ飛び回っています。熊蜂も来ていました。この花は沢山の昆虫を呼ぶのだそうです。シューベルトの野ばらもこのようなものだろうか、などと言ったりしました。これも花期が終われば刈り取られてしまうでしょう。ひと時の、台峯のバラの宴でした。

来月はもう蛍の季節になりました。早いものです。


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「台峯歩き」、珍しく桜に出会う。 [台峯を歩く]

歩く会は、毎月第3日曜日と決まっているので、4月に桜と出会うことはほとんどない。例年ならば若葉になっているからだ。ところが今年は開花が遅れ、しかも1日が日曜日だったこともあって、花の盛りに出会ってしまった。昨日は冷たい雨が終日降って、これで散ってしまうのではと思っていたのに、はかなく見えるその花の命は思ったよりはたくましく、ほとんど満開のまま残っていたのである。勢いのあるもののエネルギーだろうか。
空気は雨に洗われてすがすがしく、午前中は陽射しもあって(午後遅くから曇ってきたが)、山際は薄霞におおわれながらも、急な暖かさに一斉に芽吹き始めた様々な色合いの緑の中に紅の彩をそえて、歩く会としてはたぶん初めての花見の会ともなったのではないだろうか。
この辺りで春の初めにまず目に付くのはキブシの花だが、それがまだ残っていて、桜と同居しているのなど、これも例年にない光景である。


桜だけではなくその他の花や昆虫も春と初夏のが一緒に今見られる、まさに「北国の春」の様相だと、Kさんも顔をほころばせながら言う。道端には小さな花をつけた野草がいっぱい。立ち壺スミレは我が家の庭もそうでしたが、ここでも例年になく多く、ムラサキケマン、ホトケノザ、オドリコソウ、カキドオシ、ホウチャクソウ、ヤブニンジン。
田んぼにはタネツケソウ、タガラシ、そしてもうシュレーゲル・蛙が鳴きしきってうるさいほどでした。

鳥たちも帰っていく冬鳥とやって来る夏鳥がともに見られるとのこと。桜の咲くころはその蜜を吸いにメジロやヒヨドリがやってきますが、そのヒヨドリは実は渡り鳥で、その群れを先日見たという言う。(10月から11月、北に帰っていくが全部ではなく一部はとどまっているという)。
この辺りの地形は縄文時代からの地層が残っていて、その断層が見られる崖もある。また海に近い旧鎌倉方面は、水質が悪く古くは水を買っていたという。それに反して北斜面が多い北鎌倉辺りの水質はよいというのを初めて聞いた。そういえばわが家の辺りはあちこちに湧水があるのも、山の水を集める川がないので、それが地層を通って湧き出ているのであろうか。

見晴らし台に当たる通称老人の畑からの眺めは素晴らしかった。すなわちここは、前回ブログに入れた六国見山が、線路のある谷間を挟んでちょうど真向かいにみえる丘陵であるからだ。「花と柳を扱き交ぜて」というなだらかな山の風情と色合い、また鶯があちこちで啼き「処処啼鳥を聴く」という一節が思い浮かぶ。

歩きの終わりごろに寄る水辺では、トビゲラ、カワニナ。そしてまだ少しだがアメンボウがすいすいと、またホトケドジョウも泥の中からちょっと姿を見せたりした。

今日の歩きは異常気象もあっての幸運な一日となったが、これを幸いとするかはたまた心配の種とするかは微妙だが、とにかく自然というのはいくら観察を続け研究してもいつまでも分からないことばかりである、というのがKさんの持論である。ということで、この今を十分に楽しむことしかない。
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六国見山の桜、やっと満開になりました。 [北窓だより]

全国的に遅れていた桜前線も、急ぎ北上していますが、六国見でも満開を迎えました。
ここは彼岸桜や大島桜といった種類が多く、またその下で花見をするというよりも、里や畑から眺めたり、尾根筋を歩いて鑑賞するような感じですから、街中にある公園とは違った風情が楽しめます。特に今年は、初夏を思わせる暖かさと雨が通り過ぎた今日、幕が切られたように、白と薄紅色の花が、急に芽吹き始めた木々の若葉の、まだ芽吹かない常緑樹の深い緑の中で落葉樹の黄色っぽい緑、白っぽい緑、鮮やかな緑などのグラデーションに華やぎを加え、微妙で柔らかな春の山の風景になっているのに驚きました。
例年ならばもっと緩やかな変化をするはずなのに…。今日からまた、お天気は崩れるとのことですから、今日がまさに見頃でしょう。
ソメイヨシノも、高校の周りのは前日の雨に打たれ多く散っていましたが、それでもまだ残っていましたし、民家の敷地にある大きな古いソメイヨシノの少し遅れていたのは、まさに散る寸前という感じで、爛漫と咲いていました。でもこれは空き地になっているため残っているもので、この土地が宅地になれば伐採されるか、小さく剪定されてしまうことでしょう。

それで気がついてみれば、我が家の小さな庭も一斉に芽吹きと開花、花は雪柳、ヒイラギ南天、黄水仙はもう終わりごろで、何故か立ち壺スミレが一面に広がり、サクラソウ、ムスカリ、雲間草など。早くも都忘れやシャガの花が咲き始めました。これから眺めるほうの眼も、またそれに急かされて、怠けがちながらそれらの世話に、わが身も忙しくなりそうです。
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ウグイスが鳴き始めました(震災1年目) [北窓だより]

2、3日前から、今年初めてウグイスの声を聞く。
沈みがちだった心がやはり弾む感じになる。まだ拙いのも可愛らしく、励ましてやりたくなる。

今日で東日本大震災から一年がたちます。昨日、「原発最前線の町で生きる」南相馬市の日常を一年間、住民の生の言葉だけを拾って淡々と綴ったNHKのTV番組を見ました。ほとんど解説をせず、放射能に汚染された地域での、日々の生活とそこで洩らす人の短い言葉、その背景にモリアオガエルの産卵から桜の開花、鮭の遡上など四季の風景を映し出しながらのドキュメンタリーは、ただ息をのみ見つめるしかありませんでした。

今日は時々陽が漏れてくるものの一面に雲が広がっていて、被災地は雪のところもある様子、あの日、この辺りは朝は冷え込んだものの日中は良く晴れていたのでした。とても穏やかなので、私は急に思い立って海辺に立つ美術館に出かけたのです。見終ったのち、館の外に出ると海を眺めながらサンドイッチを食べ、そして帰途についたのですが、帰り着いて間もなく、大きな揺れを感じたのでした……。
このような帰宅難民にもならなかった幸運な私でしたが、それでもその後いろいろと考えさせられ、反省させられ、学ばされる日々を過ごしました。この国の人たちのほとんどが同じだったろうと思います。
TV番組での放射能地区の人たちの短い言葉は、皆胸を刺してくるものでしたが、アナウンサーに「士農工商」という言葉を知っているかといい、今はその逆だなと泣きそうになる顔を歪めながら絞り出すように吐き出す言葉、「東電は世の中を動かせるが、俺たちにはそれができない」今の世の中なんだ…、というのもその一つでした。
確かに「商」という企業という経済力・資本、お金、損得が世の中を動かすわけで、農・工、漁のように生活の糧をもたらすものはその下にある時代。この言葉が作られた江戸は平和な時代でしたから、「士」は武力ではなく、為政者やいわゆる知識人を指すといってよく、そうすると…という思いもしたのでした。
しかしまた、為政者の混乱の中でも立ち上がるこの国の民の力の強さをも感じながら、第二の敗戦のようなこの国は、「過ちは繰り返さない」という風に変わることができるだろうか、という思いも、自分をも含めて考えたりもしたのだった。
しかし四季はその循環を変わらず続けていきます。早咲きの河津桜が、やっと満開になったと報じられましたが、この辺りに最近植えられた河津桜の並木は、蕾は膨らんでいますがまだ咲きません(1,2輪程度)。
それでも春は、確実にやってくるようです。まだ日々余震も続いていますけれど。
大震災一年目に当たり、被災された方々、犠牲者に、黙祷を捧げつつ…。

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「東京コール・フリーデ定期演奏会」に行く [北窓だより]

昨日、友人の合唱団の演奏会があり今年も聴きに出かけた。会場は、渋谷区の文化総合センターのホール。演目は、G・フォーレ「レクイエム」とA・キンタナ「 Mass From Two World」その他である。
いずれも被災された地域の人々への見舞いと早い復興の祈りを込めて、練習し捧げられたものであった。
フォーレの「レクイエム」は、よく知られているように「怒りの日」がない。フォーレはこれまでのとは違う新しいミサ曲を作りたい気持ちがあって、「死は喜ばしい解放」とのメッセージを込めたかったということですが、全体的に静かで美しいハーモニーに貫かれている感じがした。それもその音色が流れのように微妙な変化していくようです。解説によると、かれの音楽の特徴は、半音階的な和声と揺らぎと施法性という(知識のない私にはさっぱりわかりませんが)、とにかく和声の揺らぎの快さを感じたことは事実でした。最初は不評だったとのことですが、今聴くと悲しみを乗り越えた平穏な心境、哀悼の気持ちの漂った曲に感じられる。
キンタナのミサ曲の2つの世界というのは、ミサ曲の様式が固まり進化していった時代と現代の南米のリズムとシンセサイザーの迫力を持ち込んだ現代を指しているとのこと、葬儀の曲とは思えないほどの色彩にとんだ、活き活きした感じがありました。
それぞれプロの歌手によるソロも、音量豊かで聴きごたえがあった。
最後は、元気づけられるような日本の有名なポップス(指揮の伊佐治邦治・編曲)でした。

でも久しぶりに都心に出ると、その変わり方に驚かされます。そしていかに自分がお上りさんであるかを気づかされます。日々変化するエネルギーの坩堝ということでしょうか。それが面白いという人もあるでしょうが、疲れます。では。

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寒中の「台峯歩き」 [台峯を歩く]

この台峯を歩く会は、今日で151回目を歩みだします。自然を守る基本は、そこにどういう植物が生きているかということだということ、そこから自然の営みが見えてくるのだというのです。その姿を見続けるために毎月歩き、手入れをしていくのです。

さてこのところカラカラ天気の寒い日が続きます。
2、3日前が底の日で、その日はこの家でも氷が張りましたが、今日は張ってはいないものの寒さが累積した感じで、集まった人たちも口々に寒いと言い合います
それでも参加者は、16,7人、新しい人も2,3人いました。しかし目にする花はロウバイぐらいなので、今日は冬樹の幹の識別を専らに、ということになります。

これが大変難しい。例年やっているのに少しも覚えられず、また若木や老木によっても変わってくるのですから…。幹だけではなく、枝振りや枝の付き方(伸び方)がそれぞれ特徴があり、観察すれば識別できるのですが…。
これがなんの役に立つか…と言われれば、とKさんが笑いながら言います。何の役にも立ちません、単なるオタク的な楽しみにすぎませんが…と。でもそういう種類のそんな樹がそこに在ると、確かに認識することで、その樹と親しくなることなのでしょう。
暮らしの中で里山と深い関係であった昔の人は、そういう識別は普通の事だったに違いありません。
薪にするクヌギ、コナラは、ここにも多いのですが、ヤマグワ、カラスザンショウ、ムクノキは後に増えてきたものたちです。これらは生長が早く、昔だったらまた里山の所有者であればなるべく伐採したい樹だが、鳥には好まれる樹なので(その実を食べに寄ってくる)個人的には好意を持っているとKさん。

今日のもう一つのメインは、野鳥を見ることでした。
葉を落とした林の中では鳥の姿が捉えやすいからです。しかし今年は冬鳥が少ない、とのこと。
確かにこの家でも以前はうるさいほどやってきていたヒヨドリの声がほとんどしません。鳥の姿がめっきり少なくなりました。スズメも(今絶滅危惧種になってしまったようですが)来ません。

さて目撃した(ほんの瞬間の鳥の影も含め)鳥は、メジロ、ホオジロ、カワラヒワ、トンビ、コゲラ、ルリビタキ、アオジなど。
この地に昔沢山いたのはホオジロで、スズメと同じくらいの数だったということです。
しかし今はその数を減らしている。それに対してコゲラは、今一番増えている鳥だそうです。
それはホオジロは草の実を食べていたからです。それら食料とする雑草が宅地開発によって無くなったからで、コゲラは立木があればよいからでしょう。
これらの事からも、植物が生き物たちの底辺を支えていることが分かってくるようです。
では今日はこれまで。

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T温泉行き 27年目 (今年で幕引きか?) [北窓だより]

今日は小寒、日本海側は大雪が続いているようです。
例年ながら雪深い中で過ごした日々から、雪のないカラカラ天気のこちらに帰ってくるとまさに夢の中にいた感じで、今年は特に大震災があったせいか感慨深いものがあった。
T温泉では、毎年2日に新年会も開かれており、常連客の多くが出ているようで(私たちも最初に誘われ1回だけは出てみましたがその後は止めました)これは50年も続いているそうですが、その参加者のカップルが、帰るとき私たちと同じ送迎車で「今年はお宅のメンバーの人数が少ないように見えますが…」などと声をかけてきて、互いに知らん顔をしていながら、ちゃんと見、見られているものだなあ…と感じたものです。

さて私たちメンバー、確かに今年は最小になりました。出発時は7名でしたが帰るときは4人になってしまいました。36畳敷きの広間に(これも昔は中広間という名称で、宴会は大広間のほうでしたが、時代が変わり大広間は幾つかの小部屋に仕切られ野草庵という食事処になりこちらだけが広間として残った)です。
そのようなこともあって、この辺が潮時かなと思いました。
毎年同じ温泉と宿での、暮れから正月にかけての3泊4日の27年間、そこには変遷があり一つの歴史が見られます。
行基上人が発見開湯されたと伝えられる国内有数のラジウム温泉で、宿は400年以上の歴史を持つ由緒のある湯治宿、そこにたまたま生前の相棒と訪れ、今度は正月を過ごそうと発案して6人のメンバーで申し込んだのですが部屋はもう満員でやりくりがつかず、とりあえず中広間に通されたのが話の始まりでした。
1983(昭和58)年の事です。

客室の設えはないものの広くゆったりしているうえに窓も大きい。その代り全員一緒で合宿のようなものだから、一人静かにというわけにはいかないが、広いので気心も知れた者たちなのでそれぞれ勝手に振る舞うことにし、また皆働き盛りで共に飲み食いしようと合宿気分で集まってきた同士でもあるので、誂えの部屋とも言えた。それで次の年から予約の取り合いの心配のないその中広間を最初から希望することにしたのだった。
それから27年、集まる者も年を重ね、宿や温泉の設備(クワハウスとか言って村のオンセンターのような建物ができたりして、またそれが失敗して少し前に戻ったり)、また交通手段も(新幹線時代の前は急行ー東京から上野まで出てーそこから急行で小出まで行き、その後もバスで温泉までたらたら行ってました。新幹線時代になっても私たちはしばらく抵抗して在来線を使ってましたが、だんだん接続が悪くなったのでとうとう新幹線利用、しかも浦佐からのバスが無くなったのでタクシーか宿の送迎を頼むしかなくなってしまったのでした。)変遷変化し、それは政治や社会現象とも連動して、ここにフォーカスされた形で一つの歴史が辿れるのを知りました。最初の頃は朝出て、向こうには夕方ごろ着いていたのに、今は新幹線で1時間半、そこから送迎車で30分ほど、まさに通勤並みになりました。

最初に出かけた6人のうち、発起した我々と親しかったカップルが中心で、私の相棒が亡くなった後、一人は早く去って行ったものの、残る4人が今日まで残るメンバーである。その後枝葉のように兄弟(姉妹)親戚、友達の友達…といった風に芋づる風に伸び縮みして、一番多いときは、20人にも膨れ上がっていた(記憶では13人ぐらいと思っていたがメモを確かめるとそうではなかった)。それは彼らがよく行くという渋谷のバーのマスターの家族や従業員まで同行という年であり、その時は店のワインを大量に持ち込み(持ち込みも許されていた)、私たちは大いに普段飲めない名のあるワインをご馳走になったものである。(彼らはそれを積んだ車でやってきた)。
そして最近は、幼児の頃に連れられてきた子どもが成長して、伴侶や子を連れてくるようにもなってきたが、これも例外的でやはりこの行事もこの辺が限度かなと、思っているところである。
私の相棒が病を得て退職し、亡くなった年までの2年間、私たち二人はこの旅に参加しませんでした。それでもこの行事自体は続いていたのである。しかしもう一組の主要メンバーの一人が今回は加わらないことになって、振り返ると私自身も正月を過ごすのにあまりにぴったりの環境、快適であるのを良しとして、疑似故郷への里帰り…という気分でやってきたもののやはり一種のマンネリ、縛りを自分にかけていたのではないかと思い始めたのです。
それで次回はどうするか、このまま続けるかこれでピリオドを打つか、予約の申し込みをする頃まで各自考えて貰うことを提案したのだった。

最初のうち、折角の機会だからと皆で連句の歌仙を巻いたことも思い出が深い。
詩を実際に書いているのは私だけだが、職業は色々ですが文系が多く読書家もいるので、歌仙の規則を書いたものを渡し、それを参考にしながらであるが、皆苦しみながらもそれなりに楽しんでいたようだ。これもメモによると1979(昭和54)年から1987(昭和62)年、また1997(平成9)から1999(平成11)の11年も続いたようだ。大抵は36首の歌仙だが、参加者10人の時は百韻も詠んでいるし、50韻も一巻ある。旅行中完成しないときには持ち帰り、それを郵便で回したこともある。まだやっとワープロ時代で、パソコン普及などはその後の事である。
いろいろ書けばきりがないのでこの辺で止めますが、やはり日本だけでなく世界もまた転換期になったこの年、私たちの上にもある転換が求められているような気がしたのでした。

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台峯歩き「下を向いて歩こう」の日。 [台峯を歩く]

昨日の日曜日、関東地方は冬晴れで富士をはじめ箱根から丹沢までの山並みもくっきりと見え、冷え込んだものの歩くには気持ちのいい日和でした。
今年最後の歩く会です。月に一回同じところを歩くこの会も、今日で150回(13年目)を迎えたのだそうです。
台峯を残そうと活動をする会はいくつかありそれぞれに意見はあるものの、お互い話し合いながら、出来るだけ今の姿が保全できるように手入れをし見守っていくということ。

絶好の日和ですが、「今日は下を向いて歩きましょう」とK さんは言います。
もちろん、下ばかり見ていては首に悪いから、時には空を仰ぎ美しくなった黄葉(紅葉)を眺めたり、耳を澄ませて鳥の声を聞きながらですが…と。
今年は本当に大変な年でした。
Kさんも親戚が被災して、何とか今は落ち着いているとか…。誰もがそれぞれに直接被害は受けなくても、心身ともに大きなものを抱え込んでしまった今、どうしても下を向いて歩いてしまうでしょうけれども…。

いえ、それだからではないのです。「今日は落ち葉や木の実をじっくりと観察しながらというのをメインにして歩きましょう」と言うことでした。この辺りはやっと黄葉(紅葉)が美しくなりました。やはり1週間ほど遅れているそうです。しかも台風による塩害で枯れたり色が悪いところも多いと。確かにこの家の前方の雑木林も白っぽくくすんだ色で、いつもとはちがう感じで海風は当たらないはずなのに…思っていたのですが、何とか見られるようになり、我が家のカエデも今が盛り、落ち葉掻きに追われるようになりました。でも今年はそれらを堆肥にしないで燃えるゴミに出すことにします。微量であっても放射能が累積するかもしれないと思って。
さていろいろな落ち葉のサンプルコピーされた資料を持って歩くことになりますが、去年もまた一昨年も同じことをやっているのになかなか覚えられません。
ケヤキ、コナラ、クヌギの落ち葉は12月まで地面に残り、堆肥になります。
ミズキ、アカメガシワは、昔はなかったもので、新しく入ってきた種族、イヌシデ、エノキなどこれらの落ち葉を手に取って揉むと、粉になってしまうが、それは堆肥にはならない。すなわち葉肉が厚くすぐ分解しないものが腐葉土となって土の栄養になるとのこと。
それらの見分け方は、葉の形、ギザギザの付き方、葉柄の長さや色や付き方、葉脈の走り方などよく見れば同じようでいて違いがあって、人間と同様に微妙な違いで個性を発揮しているのに感嘆させられます。今は葉っぱで見分ける樹木図鑑のようなものもあるので、ここには書きませんが、Kさんのように何を見せてもすぐ答えてくれる、その識別方法を指導してくれる人と一緒に歩くのが一番です。でもそれを毎年忘れてしまう私なので、自分でもがっかりです。

この辺りは紅葉は少なく、寺院に植えられている園芸種のカエデ以外は、野生のイロハカエデとハゼ、カマツカというサーモンピンク色のものくらいです。でもエノキなどの黄葉も、青空の下太陽の光を透かして眺めると黄金に輝いて素晴らしい美しさです。

木の実としては、カラスザンショウ、スギ、ハゼ、エノキ、シデなどの実、それらの姿もまた落ち方もそれぞれで、皆種族の繁栄に術を凝らしているわけです。
2つの田んぼに先月、暖かさで青い葉をつけていると述べましたが、それに穂がついているのでした。しかも陰になっているところには霜がびっしり、可哀そうにも稲は無駄な努力をさせられているのでした。
野鳥は少なくなっているようです。それでも池には子連れのカルガモ、ヒヨドリやシジュウカラ
、コジュケイなど。

16日、政府は「原発事故収束」を宣言しました。もちろんこれからが困難だとは言っていますが。台峯から帰った夜、「NHKスペシャルシリーズ 原発危機」で初めて原発事故の現場の綿密で詳細な真相が放映され、それを見て愕然としました。やはり原発はメルトダウンしただけでなく、(3月12日午後1時に)メルトスルー(格納器が壊れて下に落ちる)までしていたのです。しかも事故の拡大を防ぐチャンスはありながら、それが分からなかった、スリーマイルではその危機管理がなされるようになっていたのに、それを学んでいなかった。日本の原発が危機に陥ることはないと、管理委員会は信じていた。「原発安全神話」を信じていたのは、彼らなのでした。そしてそれを政府は隠し続けた。私たちは真実を知らされないままでした。
そこでの現場関係者の実名インタビューで、そのことを認め、しかもまだ事故は収束に至ってはいないと言っています。

同じ日のお昼の「日曜喫茶室」は、今年最後でもあり、3・11の事もあって、いつもは常連客として登場する4人(安野光雅・池内紀・轡田隆史、荻野アンナ)にそれぞれ、そのことについて語り合う特別番組になっていて、そこで安野さんが、先の大戦の終戦間際、敗戦に敗戦を重ねているにも関わらず、大本営発表では、「転進」していかにも勝利しているように報じた方法と同じで、国民に真実を語らない政府の隠蔽態度は、その時と全く同様ではないかと憤慨していましたが、まさに3・11の後、天皇が姿を見せ、原発事故が知らされたとき、終戦(敗戦)時と同じことが繰り返された、同じアヤマチを私たちはまた繰り返してしまったと感じた人も多いに違いないのでした。今回は「原発安全神話」を、その時は「日本は神国だから負けることはない」という神話を信じていたのです。その他はすべて「想定外」だったのでしょう。
これからどうなるか、どうするか、多くの課題を残し、それを抱きながら今年も暮れていきます。
明日滅んでしまうかもしれないかもしれないけれど木を植えると言います。パンドラの箱に底に残った希望という命を来年につなぎ、少しは良い年になりますように、皆様もどうかよいお年をお迎えくださいますように祈りながら、今年最後のブログといたします。

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秋の「台峯歩き」(異常気象) [台峯を歩く]

土曜日は前線通過のため台風並みの風雨が吹き荒れましたが、日曜日は晴れて南風が吹き込み20度を越す暖かさとなりました。そのためか「台峯歩き」の参加者も総勢で9人という少なさ、でもこのくらいがちょうどいい人数だ、とKさんは言います。あまり多いと声の通りが悪く、Kさんの説明も聞き取れなくなるので、出てきてよかったと思いました。

というわけで今日はゆっくりのんびりと、皆で気ままに道中を楽しみます。
でも誰もが心の底では、不安の霧が辺り一面に漂っているのを感じているに違いありません。昨日のような気象は11月としては珍しいと、Kさんは言います。この台峯の生態系にも色々な異常が生じていると。たとえば今年は蜘蛛の数が少なかった。それは餌がすくなかったに違いないし、また今丸々太っていなければならないものが痩せている。気象が荒々しく変動するのもその異常の一つだし、また夏に逆戻りしたような日もあったためか、新緑があちこちに見られる。新聞にも桜が一輪咲いた写真が載せられていましたが、ここでも桜が数輪咲いているのを目撃。
ここにある2か所の田んぼでは、刈り取られた後の株からまた稲が伸びていて、一面の青田になっていました。二期作の土地ではないので、それは枯れてしまいますし、木々の新緑も冬の寒さで、春芽を無駄にしてしまうことになります。あちこちで様々な天災が起こっていますが、こういう身近な自然にも異常が生じているようです。
しかも第2の田んぼに来たとき、手書きの立て看板がいくつも立っているのに出くわしました。崖(最近この辺りに宅地が建つにあたってコンクリの壁になってしまった)になっている上部に
どうもまた宅地開発されるらしく、それへの反対抗議の文面です。そこに家が建つと深い谷になっているこの辺りの日照はいっそう遮られます。「蛍も棲む、有機栽培の田んぼの稲も育たなくなる、開発反対」というのをはじめとする数枚のタテカンです。
とうとうここもまた…という思いです。ここだけではなく、先日も取り上げましたがこういう事態はいたるところで繰り広げられているというのが現状です。この地の緑はまさに屏風かカーテンの緑の壁です。ひと並びだけ樹木があって、その両側が宅地であるところが大部分です。
市の行政や保存の現状について詳しい人の話では、世界遺産への登録は、観光客を呼び込もうという商業的な計算であって、本当にこの地の自然や文化を守ろうという姿勢はほとんどない、今では地方に行けばどこでもあるその地の資料館(寺院による宝物館は別にして)のようなものもここにはなく、発掘による様々なものは記録も分類もされないまま段ボールなどに入れられ放りっぱなし、そしてじわじわと法の網をくぐる違法開発は後を絶たず、それを防ぐ方策も立てられない。これではその資格はないだろうと。

暗い話ばかりになりましたのでちょっと話題を変えます。
この辺りの紅葉(黄葉)は今月末から来月にかけてゆっくりしたものですから、今回もそれほどの彩は見られませんでした。そもそも楓のような木は少ないので、あまり綺麗な彩りはなく地味なものですが、それでも最近は紅色も見られるのはハゼ類が多くなったからだろうとのこと。今黄色に色づいているのは、エノキ、アカメガシワ、クワなどで、ヌルデやどこにでも巻きつくヤマイモの葉の黄色も緑の常緑樹の中で目立ちます。紅色ではコマユミとかカマツカとか、教えられてプリントの図を見てわかりましたが、一人では見つけられないでしょう。高山の鮮やかな紅葉の一つ、ナナカマドも出口辺りにあるのを教えられました。
鳥類では、アオジやクロジやウグイス(地声)、ヤマガラが鳴いていると言いますが私にはなかなか聞きとれません。
秋の青田の上を蝶が舞っているのも見られ、またヤマトシジミかウラナミシジミかという、小さな蝶が羽を休めているの、アカスジという昆虫の幼虫(この時期は赤い筋ではなく黒に白い筋を持っている)という不思議な虫も教えられました。このようにゆっくり観察していくと、人間には想定できない自然の不思議さ美しさ、巧みさにただただ感心するばかりで、その奥の深さを思い知るばかりです。そして私たちも、その中の砂粒のような一員として、ただ今を生きていく外ないのでしょう。

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「インド音楽 シタール演奏」を聴きに行く。(大震災8か月目) [北窓だより]

恒例になったシタール演奏を去年は風邪のため出かけられなかったが、今年は出かけることができた。震災8か月目の次の日である、ということもあってか何故か身に染みた。
インドの代表的な弦楽器シタール(共鳴胴は乾燥したトウガンからできている)と打楽器(小太鼓やつづみに似ている)、それにタンブラーという始終低音を奏でているシタールより長くて細身の弦楽器によるもので、堀之内幸二氏の独奏、そして合奏(タブラ=龍聡氏)であった。
演奏する曲は、一日の時間帯や季節の巡りに合わせたもので、朝のラーガ(旋律)、夜のラーガなどと言われ、またその旋律も演奏者個人の感性による即興性も加わって演奏されるという。聴いているとその微妙な変化による単調なリズムと旋律は眠くなるようであるが(実際私も途中うとうとした)、それは心地よく、終わってからも暫らく身体の中に旋律とタブラの響きが残っているようである。今もこれを書きながら脳裏にその音が微かに聞こえてくる。たぶんその音楽は、建築物のように構築され練り上げられたものではなく、風や波の音、せせらぎや木の葉のそよぎに似ているからかもしれない。
背後のスクリーンには、昨年行われたインド・ツアー旅行で撮った実景が映され、特に演奏の時はベナレスのガンジス川に夕日が沈んでいく光景が映し出されているので、震災の多くの死者たちへの思いも重ねられ心に染みたのかもしれない。

そして帰ってきて、7時のニュースでやっと初めて福島第一原発に報道陣が入ることができたということを知った。ただそれは細野原発相と同行するという形でとのこと。そして吉田所長へのインタヴューを聞いたのだが、それは爆発事故を聴いたとき、放射能は人間の手ではコントロールできないので、もう死ぬかもしれないと思った、といった率直な発言がなされているのを聞き驚いた。現場を見た記者の、事故の凄まじさに言葉も出なかったという報告と合わせて、やはり初めから今のようになる可能性は分かっていたのだと思いで愕然とした。やはりパニックを起こさないように隠されていたのだ。そして、しかし今は何とか安定している(しかし今後どうなるかは不明)、だから安心するようにということである。
何とか安定するまで漕ぎつけたので、所長も当時の本音を漏らすことができたのであろう。
私は慌ててこの日の新聞を見返した。しかし最前線(原発事故の復旧作業基地になっている「Jヴィレッジ」)に報道陣が入ったと報じられているが、インタヴューも原発事故の現場も報じられていない。パソコンを開け、そこでのニュースを見ると、インタヴューの記事はあった。しかし聞いたのより和らげられている感がした。今は安定しているから安心するようにという意見が前面に出ている。ところがそのうちその記事が消えたのである。この日はニュースが犇めいていた。今日本にとってはTPPが切実な問題である。トルコでも地震があり、タイの洪水はなかなか収まらない。ヨーロッパの問題、オリンパスもあり巨人の内紛、しかもこの日女子のフィギュア(これは私も楽しんだ)もあった。それらの報道で消えてしまったのである。しかしまたその後、記事は復活した。
心安からぬものがあったが、朝の新聞では第一面に、大きく原発事故の現場や所長の発言が掲載されていて、安心した。
私個人で自分を振り回していたことに苦笑しながらも、これらを考えるに、下衆の勘繰りと言われるかもしれないが、福島原発事故の現場視察は、実際は、8か月目の11日に行われ、その報道記事の発表は12日ということにしたのではないかということである。報道記事をよく読むと11日に入ったということは書いてあるが、12日に入ったとは書いてなく、「初めて公開される」という書き方になっている。すなわち11日の視察内容、記事を調整して12日に公開、発表するという事なのだ。
ここでそれらを非難しているわけではない。所長も死ぬ思いで事故の収束に懸命になったであろうし、作業員たち、記者たちも高放射能の中で必死に自分たちの職務を果たしている。みなそれぞれに懸命に持ち場で頑張っていると思うけれど、報道、マスコミというものはこういうものだということを、やっといま痛感しているという事だけを、自戒を込めてここで書いておきたかった。

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